一言多いやつに一言多い人

 何気ない一言にカチンと来るとか傷つくとか配慮が足りない人が周りにいる、と嘆いている人がSNSには多い。確かにそういう余計な口が多い人間は一定数居てなんやこいつ、何様なん、と思うことは実社会で多々ある。まあ自分もこんなブログ書いている時点で何様側の人間ではあるけれど。

 ところで何気ない一言で傷つき過ぎな人もいる。勝手に言葉尻を取り、背景を妄想して、きっとこの人間はこういう人だろう、と考えている。おそらくこの手のタイプに一番向く職業は週刊誌のデスク辺りであろう。一つの言葉、一枚の写真からものすごく多くのことを事実として妄想することができる人には向いている。さてこういうタイプは相手の状況に配慮できているのだろうか。

 ある発言の意味づけはその発言の文法、構文的解釈と前後の文脈的解釈、そしてその人自体の過去のエピソード、印象、その人に対するバイアスやあるいは自身の信念、信条から来る解釈に分かれている。何気ない一言というのは基本的に構文的解釈なら悪意とはとれない文章であり、かつ文脈的にも取りにくいものである。つまりこの場合、ある文章と自分の考えを紐付けして配慮が足りない、と言っていることになる。

 だがその信念や信条は普遍的であろうか。あるいはその人へのバイアスは正確であろうか。何気ない一言で傷ついたとしても言葉を発した側は違う信念や信条を込めて言ったのかもしれない。

 人間は怪しいものを疑うのではなく、疑うために怪しいものができるのである。相手の発言に疑念を抱くと永遠に疑い続けることになるだろう。常に自己は客観視されなくてはならない。

 

主観で語るブログの たかたか。