寛容性が求められる。

 私たちには自由な選択肢があっていい、なんて言われる時代になり、子供は作らなくて良くなったしなんなら結婚もしなくて良くなった。が、相変わらず独身に対しての年賀状はわざわざ家族写真でない年賀状を作るというのがこの国の文化である。

 本来こういう配慮がいるのか、なんて問題はある。穿った見方をしないのなら、単に家族一同今年もよろしくお願いします、という写真に過ぎないのである。まあ幸せアピールだ、と言われればそれもそうなのかもしれないが。

 こと最近は多様性に対して配慮が必要な時代であるが、注文の多すぎる人間は少なくない。よく欧米では、とか北欧では、と言うがここは日本である。そんな小さなスケールでとか視野が狭いとか言われるかもしれないが別に多様性を認めないとは言っていない。要は何も言っていないのにこちら側がオートマチックに配慮して心地よい空間を作ることを求めるのが困るのである。

 マイノリティ側もマジョリティの文化を理解しなくてはならない。またマジョリティはマイノリティの文化を受け入れろというのはかなり困難な論理だと言える。どの人間にも寛容度というのがあって無理な人には無理である。何しろ同質の文化圏ですら受け入れ難い人間なんかごまんといるのだから。

 

人生はマイノリティサイドの たかたか。