ポリコレ

 ポリティカルコレクトという概念がある。近年の有名なハリウッド映画なんかはこれに配慮していないと文字通り死ぬほど叩かれてしまう。

 映画におけるポリティカルコレクト、とはアメリカでは人種の割合に応じた配役が振り分けられているということである。黒人やアジア人が最近の映画では必ず登場するのはそのためである。無論、ポリコレではなくその演技力の高さや容姿のマッチング、等本人の実力により配役を勝ち取った場合も多いだろう。ただポリコレという概念が指摘されればされるほど、ベストな配役では無く、政治的配慮で配役が決まったのでは無いかという疑念が拭えなくなる。

 ポリコレをどこまで適用するのか、という話もある。例えば黒人の犯罪者率や低所得率が高いからと言ってその通りの配分にはしないだろう。

 大臣や管理職に女性が少ないことを非難する人がいる。たしかにかつてのように少なすぎることは問題だろう。だが人口比に合わせることには疑問符が残る。そもそも管理職以上になりやすい大学進学者は未だに男性が多くかつてはもっとこの傾向が強かった。東京大学に至っては未だに入学者の85%が男性である。大体40から60までの人がこういう職業につくとすればさらに男性の割合が高いのは至極当然と言える。

 マイノリティや発言力の弱い立場に一定の権利を与えることは民主主義の原則であるが過剰な拡張をすべきでは無いしましてや世界観により合理的思考を排除するのはナチスとやっていることは大して変わらない、と思うのである。

 

マイノリティというより個人の たかたか。