女性蔑視

 女性蔑視問題が話題になっている。森元総理のネタを擦りまくっているのだが、まあ本人は特にそういう意図も無かったらしいけれどメディアの編集や切り取りなんかはいつものことなのであまり語っていても仕方がない。人間は都合よく物事を判断するしそれは情報の提供者たるメディアの人間でもそうだということに過ぎない。

 そもそも蔑視というのがとても曖昧なものである。日本は男女平等という概念からはかなり遅れているらしい。遅れている、とは何からなのか、という話になるけれど欧米から遅れている、というわけである。何やら管理職等の女性比率が極めて低いことが問題視されているようだ。

 日本は今でも男女でかなり学歴格差が激しい国である。中学、高校レベルで男子校の方がブランド化された高校も圧倒的に多く、今現時点でも東大進学者ランキングなどではこうした男子校の排出率は非常に高い。そもそも東京大学に限って言えば全体の学生の八割以上は男性である。一昔遡れば九割男だった時代もあるわけである。大卒進学者こそ男女での差は小さくなりつつあるけれど未だにトップ校だと男子比率は女子のそれに比べて高めで推移している。

 生まれた時点での性別的な期待というのは文化的にそれなりに生じるものである。インドは長らく家族計画政策で生まれる子供の数を制限しようとしてきたが猛反対で実現できていない。これは産む権利を制限されるから、ではなくヒンズーでは親の火葬をするのは長男であると決まっているため家庭で男が最低一人生まれるまでは産み続けたい家族が多いから、である。

 日本でこれだけ進学率に差が出てしまうのも性別的な期待が男女でかなり異なるからだと考えられる。単に男が稼ぎ手になることを期待されているし女は良妻賢母になることが親から期待されることが大半である。最近は良妻賢母の理想像なんか語り出すとそれこそ文字通りボコボコになるので今日はこの辺で。

 

ニートは良いが主夫は嫌な たかたか。