インキャ論文〜センター国語風〜

 世の中にはインキャと総称される種族がいる。原始、この手の類の人とは限られた者たちの筈だったがサブカルチャーが席巻している現在、この定義はわかりにくくなっている。かつてならアニメオタクや一般的にはあまり受け入れられていない特殊な趣味のマニア等がこれに該当していた筈なのだが、いかんせんネット社会で様々な情報が入る今日では、この定義であると全国民の八割くらいは入ってしまう。

 少し前に流行った言葉でチー牛、という言葉がある。これは三色チーズ牛丼を頼んでいそうな人という意味であり、インキャ定義における新たな視点をもたらした。ただチー牛、と言われる類の人間もインキャの中では限られた一部の層であって形象化された存在に過ぎない。

 うちの娘には彼氏ができないというドラマで浜辺美波が演じるインキャ役では米津玄師では無くてジャパリパークを歌えばいいじゃん、というセリフがあるがこれもますます事態を複雑化させている。米津玄師という人間が明らかにインキャ文化から表舞台に登り詰めた人である、という点においてこの表現に違和感を覚える人が多いのだ。

 だがこれらの現象を見て分かるのはインキャという大きなカテゴリの中で更にインキャとドインキャと呼ばれるグループにカテゴライズされていることである。

 現代社会は個人主義が推進される社会であってこうした環境下でインキャと呼ばれる人間は増殖している。だが人間は集団にあってこそ、その相互関係の中で新たな創造が生み出されるのであって単体で生み出すのは難しい。しかし、この個人主義で独り身で生きる時代でも、ネットさえ使えればインキャは自分の好きな界隈に入り、好きな話が出来る。そこでは実社会にあるような自分の話が相手にとって面白いかを考える必要性の薄れたストレスの少ないコミュニティが存在する。

 こうして激増したインキャ達に待ち受けていたのが先ほど言ったインキャ内でのカテゴライズ化と、さらにそれを踏まえたカースト制の定立である。かつて、ヨウキャと呼ばれる種族からはみ出した人間のコミュニティ内では多数のかつてのヨウキャの流入により再びインキャ内で線引きが起こっているのである。

 このように新しい種族の流入が新秩序をもたらすのは世の定めであると言える。ローマ帝国におけるゲルマン民族の侵入しかり歴史は常に繰り返している。一方、このインキャ新秩序とも呼べる社会からはみ出した人間が次の共同体をどこに打ち立てるのかさらに研究が必要であろう。今後の展開も注目される。

 

ネットチー牛インキャの たかたか。