帝王学を学ぶ。

 どれだけ不平等に作れるか、というのは社会システム構築の肝である。社会というのは不平等で無くてはならないからである。しかしかと言って格差が広がりすぎるというのは良くない。なぜならば不平等に甘んじる人間にとって明らかに不平等だと認識されるようなシステムであると、多方面から非難されてしまう。

 例えば医学部入試女子差別問題というのは一時期流行ったネタだった。文字通り女子が不利になるように試験の成績に係数を掛けていたなんて話である。これはどう見ても不平等に見えてしまうので格好の批判のタネになった。やるなら面接試験で減点するとかまだそういう措置を取った方がマシだった。

 あるいは絶対王政なんかでも良い。一方的に平民に重税を課したせいでフランスルイ王朝というのは不満の矛先を向けられてしまったというわけである。

 今日そんな格差拡大システムの根幹を担うのが教育である。敢えて、開かれた平等な試験をすることで不公平感を無くすのである。なんの情報もなく無知な人間にとって、自分が馬鹿だからできないと勘違いさせることができる。そうして高校や大学レベルで中産階級の人間はそれ未満の人間をそもそもふるい落とすことを可能にしている。

 そもそもの問題だが全員が平等になれる筈はない。そして誰がある尺度で優位に立つかは必ずしも実力によるものでもない。社会では人ごとに違った機能が求められていてそれは有利であることも有れば不利であることもある。それだけの話である。より有利な機能を果たす人間は権力者となり得る。

 権力者にとって大事なことは能力がある人間を登用することではなく、能力がある人間に、自身が有能であることを気づかせない事が一番大事なのである。

 

平民から成り上がりたい たかたか。