唄、思想、酒、逃避

 深夜に一人で起きていると気持ちよさそうな歌声が、聴こえて来た。大方お酒を飲んだ後気持ちよく唄う大学生くらいの人間だろう。最近は少しお酒には弱めである。と言うよりもまあ最初の頃と比べて少ない量で満足できるようになって来た。食事にしてもそうである。

 酒の話ばかりだとノンダクレに思われてしまうが、趣味の一つに歴史なんてものがある。このコミュニティって大きいのにそれほど発達した丁度いい環境がなく、高度過ぎたり、逆に陰謀論に寄りすぎて面白おかしくなり過ぎたりとこちらとしては敷居の高いものばかりである。また純歴史学的視点というのは純粋には存在しない。教育とか解釈というものは常に政治的な思想に影響されて揺らぐ上に、全く政治的な信条や思想を持たない人間というのは存在しない以上、あらゆる人間のあらゆる歴史観はそのままその人の政治思想も反映する。

 というより憶測での解釈が大きい分野なんかは大体そうである。医学だって心理学だって法学だって本当に優生思想が誤っていることを証明できたことはない。優生学というのは個別的には否定されたが、個別のものを否定しても論全体を否定できることにはならない。人類の動態とか社会の動きとか、経済とか、凡ゆるファクターにおいて政治的力学は働き得る。

 酒の席で政治なんか語るとまず碌なことにはならんのでうまく避けて通るような論が完成している。立ち飲みなんかでもそういう話になることがある。飲み屋に行っても同じ思想を持つ人はいないけれど、だがそれでも全員に共通なのはとりあいず飲食店は開けて欲しいというところか。みんなお酒を飲みながら話せる場所を欲している。そうでない人もいるのだろうけど。

 

久々に趣味ゴリ押しの たかたか。