毎日がそうとうつの連続性

 いろんな人間が世の中にはいていろんな悩みを持つものがこの世の中である。と最近そんなことを言われることが多くて実感している。

 高校まででも鬱になる人というのはいくらでもいるのだろうけどそれが大学以降ほど身近なものではない気がする。高校までの子供というのは強いのか、あるいはヒドゥンカリキュラムとやらで隠されたシナジーがあるのか、そんなカタカナを多用してよくわからない文章になっているのだけれど、とにかく言いたいことは高校までの方が生活も目的も何もかもシンプルだった。

 ある意味大学生活のほうが難しい気がする。楽しまなくてはならない、そんな感覚に襲われる事がある。自分の高校時代というのは正直空虚だった。勉強くらいしかやっていなかったけれどどちらが楽しいかと言われるとハーフアンドハーフである。大学でお酒も覚えたし友人も増えた。誕生日プレゼントの交換なんかもするし充実した人生なのは間違いない。

 こう、大学生になって単純に幸福度が下がる、というのがある。あるいは成長していくにつれて、でも良い。よく大学生で変な商材ビジネスをやっている人間がいるけれどああいう人間の最大の問題点、あるいはつけ込まれている点は、本人の幸福度の低さなのだと思う。

 冷静に考えてほしい。商材というのは基本的に営業で裁くものである。商材を売るなら売るための説得力が必要で、それは論理的でも感覚的でも構わないのだけれど、とにかく外せない要素である。本人の容姿ということもあるし話し方とかもあるかも知れない。話す内容が素晴らしいということもあるが兎に角人を惹きつけられる魅力が必要なはずである。だからそもそも幸福度の低い人間はこの手の商売は成功しにくいのである。

 なんだか話が脱線するいつもの雰囲気だけれど、この鬱屈した雰囲気を打倒する何かが欲しく今日も他力を本願する。

 

細かいことはお酒で飛ばす たかたか。