ディベート真偽判定

 ようやく試験も終わりちゃんと腰を据えてブログも書けるというものだけれど腰を据えると面白いことも書けないなんてことはよくある。世の中片手間になったり、忙しくなったりする方がうまくいく。なんでも煮詰めれば良いというものでもない。料理だってさっと茹でるものもあればじっくり煮るものもある。

 議論にせよ何にせよ本当に煮詰めなくてはいけないことはごく一部の話だと思う。ほとんどの議論は冗長で無駄とまでは言わないがする必要もないようなそんな話なような気もする。というとまあ議論から逃げていると言われるし実際そうなのだけれど、主張をぶつけ合うのがそもそも面倒になる、というのはあるのかもしれない。SNSという媒体を使うようになって、一方的な発言に慣れるともうさっぱり、ディベートのようなまともな議論をする元気もなくなってしまった。結局自分の譲歩できる点は決まっていてそこまでは譲歩できるわけだから、最初にここまで譲歩するがこれ以上は譲らない、と相手に主張する方が通る気がする。

 まあこの国の人間はそもそも議論は苦手である。東洋全体の傾向、とでも言おうかそもそも民主主義ではなく官僚主義に慣れていてあまり公に議論することを得意とはしていない。週刊誌ネタしか扱わない国会中継もまあそれはそれで伝統芸能だけれど。

 

煮ても焼いても食べれないのは たかたか。