しょうもない日の回想

 遊ぶことも遊び方も知らないが遊んでいたいのかあるいは他のことがしたいのか。毎日やることを自分で考えるのは難しくて結局予定が沢山ある人というのは自動的に入る予定を増やすことでその一日を埋めている。

 最近は同じ調子でブログを書くのも飽きるので定期的にこう、文体を変えてみたりとかそんなこともしている。

 結局こう言うしょうもない日記を記す時が一番充実しているのかもしれない。それほど向上心のようなものが今強くなっているわけではないからむしろ今まで生きてきた年月を俯瞰的に見ることを楽しんでいる。つまりは完全な余生と化したこの状況はつまらなく、しかしながら最も楽しい日々だと言える。

 適当な人間なので思想は常に変わり続けているがそれはそれで良い。まあ尤も最近は保守的な思想を完成させようなんて意気込んでいるけれど結局そう言う形而上学に対してそれほど意味を感じているわけでもない。思想を話す場があるような立場なら違うのかもしれないが将来なる職業から考えても多分ないだろう。

 そんなこんなで単なるどうでも良い思索が一日のうち大半を占めてしまうから他のはいる余地というのは精々野球中継とかそう言うわけのわからんものでしかないのである。野球中継もなんで好きになったのかさっぱりわからないが多分嫌いになることもないだろう。実家にいる際は最大の楽しみである。

 と言ったが実家でありがたみを感じるのは食事が何もせずに出てくることである。下宿では栄養不足気味であったのでなんだか最近体も元気な気がする。

 

両親に感謝している たかたか。