コネに評価にメンタリズム

 ダラダラと野球中継を見ながら知人とLINEで話すのがこの時期の習慣である。まあ一番幸せな時間帯であろうか。実家に帰っていると久々に野球中継以外のテレビを見ていて色んなニュースが入ってくる。いつのまにか韓国の大統領もそろそろ再選を賭けた選挙に入るらしい。

 韓国の大統領はだいぶ前の盧泰愚の頃から今まで全員が任期終わりと同時に汚職で逮捕されて実刑も受けている。国のトップが汚職で捕まり続けるなんてとんでもない国だ、ともなるがよく考えてみるとこれもいかにもアジア的である。アジアというのは大きな村社会的国家が多い。元々中国文明の官僚制が移植されているのもあって微妙なすり合わせとか調整とかは個人間の信頼関係や義理みたいな文章化もされないし公開もされないような場所で動いている。ヨーロッパ的にはある意味それをダーティと見る向きもあるが結局そうした社会ではコネや賄賂みたいな汚職紛いのことはつきものだろう。

 このブログでも何度も言ってきたけれど能力が完全に正当に評価されるようなシステムというのは本当に困る。これは例えば今日お昼にダラダラ見たプロ野球の世界やあるいはプロスポーツの世界と言っても過言ではない。貢献度が高くても選手としての実力が足らないと判断されれば容赦なく構想外となっていく。そんな社会で生きていくのは正直息苦しいだろう。

 人間の自己評価というのは基本的に過大である。むしろそうあるべきだしそうでなければ生きづらいだろう。だが自己評価が過大なら純能力主義の場所で生きることなんて普通のメンタルしていたら不可能である。勝っている、勝てると思う相手に普通に蹴落とされるわけである。ぬるま湯で生きるべきとは思わないが能力主義を声高に言う人間というのはまず自分の能力を改めて見直すに越したことはない。

 

自分に満点をあげたい たかたか。