京大の五月祭

 五月祭の強行でまた京大と学生が揉めている。近年の大学は国際競争力なるものに興味を示し、締め付けを強くしてその強化を図っている。少子化による大学入学者の質低下に年々の拍車がかかっているとされる現在では学生への締め付けも相当に厳しい。

 ただ京大という大学は前も言ったけれどまだ揉めているだけ良い。時計台に登ってみたり、寮に立て篭もったり、とんでもない輩もいるけれどエネルギーというかパワフルさがまだ大学から失われていないという事の証明でもある。自由を求めて戦うというのは側から見たら寒いノリなのかもしれないが往々にして、大学生のノリとはそんなものでは無いか、と思う。

 実に馬鹿馬鹿しいことに情熱的で、そのくせクールに振る舞いたがるのが大学生という生き物な訳であり、母校のそういう部分に多くの人はノスタルジーを感じるのではなかろうか。コロナどうこうは別としてもそういう反骨精神という面で五月祭は評価に値し得ると思う。

 ひろゆきは日本のネット界の偉大な人物ではあるがどうも彼を真似たというか妙に冷めた学生というのが増えつつある気がする。別に自分まで熱くなる必要はないけれど、温泉に入るように熱さにも身を委ねれば良いのにとは思う。かく言う自分はこんなブログを書いていてどんなセリフを言っているんだと言う感じではあるけれど。

 

書いてる途中に寝落ちした たかたか。