異性愛主義

 今日は金曜である。何も予定が無かったはずの週だったのだけれど結局忙しかった。何があったっけとは思い、確認するとオンラインで飲み会したり、イベントに参加したり、生徒に講義動画撮ったり、とオンラインイベントがたくさんあったらしい。もちろん授業にも出ていてほしかったところであるが日が出ている間は眠いので仕方がないと言ったところか。

 TwitterLGBTについての文章が流れてきた。自民党は結構強めの口調でこういうことに関する法整備を否定したらしくなかなかに物議を醸しているらしい。自分は演劇をする人間としては珍しい右翼出身の人間なので基本的に性概念とかに関しても保守的な考え方を持っている。差別して良いとは思わないが、とは言え立法化には疑問が残るところである。

 根本的にルールを作る事が差別の撤廃には繋がらない。そして自身の性自認と異なる行動を取らなくてはいけない場合というのは特に社会人になると減ってくる。あるいはある種の社会では肉体的性別と性自認が逆転していることで有利になるということもある。これが自分の意見である。

 よく同性婚が認められないと結婚による配偶者控除を受けられないという話を聞く。ただ個人的な解釈にはなるが配偶者控除が存在する理由は一つの家庭には子供がいる、あるいは積極的に子供を作る事を補助するためにある制度で根本的に子供を生産できない共同体を補助するシステムではないと思っている。実際に子供を設けるとなると足枷をつけているのと同じなので、世帯収入は減りやすいのに、出費は増えるから控除があるのである。

 あるいはかつての日本が年功序列を採用していたのも、家庭を持っている人が多いからこそ、年齢とともに収入が増えていく必要があったからだとも言える。逆に言えば今の実力主義的なシステムでは年齢に応じた収入は保証されないので少子化や生涯未婚に歯止めはかからないだろう。

 誤解されないようにもう一度いうけれど差別はなくすべきではあるけれど、かと言って同性婚と異性婚が法律上同じものになるというのはシステム上問題が多いだろうと思う訳である。

 

もっと過激派になりたい たかたか。