売り手買い手そんで貰い手

 このものが溢れる時代では売る方も買う方も大概に大変である。なんでも規格化された時代になっているから売る方とすると他と違いを見出すのは難しい。いやあっちの店にもあるしなとなる。買う方は買う方で膨大な規格がありながら自分にピッタリというものは中々見つけられずこれはこれで難しい。

 しかしこういう社会では自分にぴったりなものがあると逆にまずい。買う方はしっくりきすぎてしまうと中々それを手放さない。売る方としてはそんなことでは困る。どんどん新しいものを買って欲しい。だから求められているようで求められていないような規格が続出する訳である。

 しかし便利な世の中だとピッタリというのはすごく求めるところではあるらしい。なんて婚活を見ていて思う。世の中で恋愛できないのは圧倒的に男なので、婚活は男が余るはずなのだが女が余りまくっている。日本は男女共同参画社会が標榜されていて順調に男の社会的地位は低下しつつあるが、それに婚活をしている人間の考えが追いついていないからである。収入や学歴等のボトムでほぼ全ての男が消えてしまうため条件面で折り合いがつかない。

 何やら恋愛して結婚する、そうありたいという風な考えもあるらしく、それはそれで良いと思うが、結婚なんて概念は古来から殆どの時代で恋愛で結ばれた例はない。文明社会なら常にしがらみが関わっている。恋愛結婚自体、幻想であると割り切れた方が早い。愛のない結婚なんぞ嫌だ、という意見があるのかも知れないが考えからして力みすぎなのである。職場で一緒に働く時、お互いを愛し合っているだろうか。別に家庭という職場で協働し仲良くなっていく、結婚はゴールではなくいわば入社であるとは考えられないのだろうか。

 まあだから人生の墓場なんて言われるのだけれど。最も長く使う可能性があるだけに結婚相手にはオーダーメイドに近い規格を求めがちであるが真に重要なのは自分が規格にフィットしていく事である。ある服に対してどのアクセサリーが合うかバッグが合うかであって服が相手なら自分のバッグや靴を服に合うように持ち替えて人生をコーデしよう。

 モデルにはなれないスタイルでも自分らしさが出ていいんじゃない?

 

将来確実に婚活する たかたか。