承認欲求的婚活否定論

 最近は大体タイムラインに流れてくるものをネタにしている。一日一更新と考えると普段見ているものが一番ネタにしやすいからである。趣味を話題にしても良いけれどこのブログを長く見てくれている人にすら大分ニッチに感じられるネタになるので割愛している。

 というわけで本日流れてきたのは婚活についてである。ツイッターのフォロワーを見てもらえると分かる通り婚活垢をいくつかフォローしている。婚活垢を見るとやはり二十代での結婚が望ましいんだなと思う。大半の婚活垢は三十代かそれに差し掛かる年齢で、結婚しても良いという条件に合致するような同期はほぼ結婚してしまっている。一方で年齢が高くなると単に結婚したいという願望以外にも自分が確立してきた社会的立場の尊重等も相手に訴えねばならない。つまり高年齢で結婚する事はどちらにとってもハードルが高くなる。

 また家族計画的な問題にもなる。今日見た婚活垢で三十代の女性が男性に子供については厳しいのかなと言われてショックで泣いていた、なんて投稿が流れてきたけれどこれは男女共通の話である。アメリカの研究によると男性側が高齢でも精神疾患自閉症の子供のリスクは高まるらしくこうした疾患が先天的であれ、後天的であれ、出産や子育ては高齢であるとそれなりのリスクが生じることになる。

 その人はそのアカウントで、私という人間を見てほしい、と言っていたけれどそんなことをしてくれる人間はいないだろう。親ですら、そうではない。そもそも見てほしい、私という人間とはなんなのだろうか。自分の本質、とはある種自分でしか判断できないものである。他人は客観的視点で他人から見た自分の本質というのを見ている。視点が変わる以上その本質に対する価値も見方も異なるわけである。

 見てほしい、私に対して相手が無限の価値を見出すことなどまず不可能だろう。というよりそんなことを相手に求めるのは究極的な甘えであって人間が一番可愛がられる乳幼児の頃ですらそんな価値は無い。婚活は自分の活動だから相手に同情する必要はないが、相手にとっての自分はどの程度の価値を帯びるのか、は十分な検討が必要と言えるだろう。

 

多分将来婚活している たかたか。