意見の単位ベクトル

 イベントの運営者としてグループディスカッションのメンバーを組む機会があったのだけれどこれはものすごく骨の折れる作業だった。イベントにあるのは必ずしもディスカッションみたいなものに慣れている人間とは限らない。なまじっか知ってる人間も多いものだから配分のバランスに余計に気を使うというものである。

 大体どんな学問もこの世の中は一方向性ではなくて様々なベクトルの合成によってある安定した方向に収束するという結論になるのが常であるがその中では個々には色々な意見を言う人がいる。例えば、我々は共産革命を実現しなくてはならないとか、天皇制廃止だ、なんて言う人もいれば日本は再軍備すべきである、とか韓国と絶縁すべきだ、なんて意見がある。ここまで大きい話でなくても学長辞めろ、とか緊急事態宣言は無駄とか日々様々な意見が飛び交っている。

 これらは向きが一致する人の多さはともかく一人一人の声の大きさは相当なものがある人たちの意見である。

 それぞれが正しいか間違っているかはさておき、つまりはあまり意見を持っていない人たちに対してバランスをとって存在しているのがこういうかなり過激な意見を言う人たちである。

 ただ最近の立て看板騒動を見ていても思うのだけれど、どうもこういう過激な人で最近カリスマ性を感じられるとか大衆受けするような人があまりに少ないと思う。それが良いのか悪いのかはさておき、こうしたグループはその意見の正当性自体よりも感覚に訴えかけてくるような、心をくすぐられるようなそういうものであることが重要である。最近はなんだか扇動する側が冷めた態度を取りすぎというか、おしゃれというか格好をつけているというのか、どうも暑苦しさみたいなものに欠けている。

 もちろん、古き良き、暑苦しさなんかを持ってこられると本当に暑苦しいのだけれど何かこう、面白い発信の仕方をしてくれる人がいてくれてもいいのにな、とは思う。まあそれを引き出すのがディスカッションの運営の役割だからとりま頑張る。

 

割と暑苦しい顔してる たかたか。