登校時間がめっちゃ遅れた

 早くも六月である。年明けから考えるとまるまる五ヶ月が経ちあと一月で半年になる。結局緊急事態宣言は延長されることになってしまいこの六月も半分以上の期間で緊急事態宣言が発令されてしまうことになった。

 今年は梅雨入りが早いとのことで雨が降り始める時期は早かったのだけれどこの六月の手前、例年ならそろそろ梅雨かという時期になると今度は一向に雨が降らない。気候も生活もイレギュラーな初夏である。まあ季語的は初夏を六月で使うのは変なのかもしれないが。兎にも角にも雨が降らないおかげで洗濯物を干す場所には困らないので助かっている。

 こう自粛が続くとある意味不登校みたいな状態にあるのだけれど最近は不登校に、陥る、というのに反対な人がいるらしい。登校するかしないかはポジティブな選択であるべきで避けられないものであるという、陥る、という表現は正しくないというわけである。

 だがしかし、やはり不登校は陥るものに他ならないだろうと思う。いつの時代でも周りの人間と馴染んでいたことはそれほどないので小学校から時間通りに学校に行っていたことはそんなになかったのだけれど、やはり陥るものであった。

 別にパンクチュアルであるべきかどうかをここで語りたいのではなくて、社会性の形成の問題である。一人一人自由に個性を伸ばそうということは、逆に将来は全く保証されないと言うことを意味する。もうこう言う人間以外に育つことは出来なかったであろう自分はさておき、ちょっときつくても集団の中で生活できる人間はどれほど幸せかと外から見ていて思うのである。

 自由に生きている人は集団に所属しない自由を得ているだけで、集団から与えられるメリットはないので結局自分で利益を開拓している必要性があるのだが、現在不登校を選択している人間のうちこれが出来ているのはおそらくごく少数だろう。

 

お昼に起きた たかたか。