庭を縁側から眺める

 柔道の先輩が引退する時にも行ったのだけれど日本式庭園というのは良い。こう言う涼しくてあまり虫もいない時期に縁側等で寝転がりながらああいう庭を眺めると言うのは古来より最上の贅沢なのかもしれぬ、なんてそう思いながら庭を回っていた。枯山水と水があるのはどちらが好きかなんて話にもなったがこちらは虫が嫌いなので夏は枯山水派であるが読者諸君は如何だろう。

 まあそう言う都合の良い好みを持つ人間だが人というのは本来そういうもの、実際の利益とか以上に好みは大事である。酒もタバコも恋愛に至るまでそうな訳であって、あまり合理的思考というのは入ってくる余地が少ない。合理的なんていうのはその時に自分が理性で決めたということを信じ込みたい、そういう感情が働く気がする。

 結局意識高い系と言われる人たちがそう言われてしまう所以もそこにあるのかもしれない。商材マルチでもなんでもそうだけれど、そこにあるのは理性というよりも、信仰や感情である。そして彼らは人と人とのつながりを意識していると言いつつ無駄に合理的である。人間社会という組織にある程度感情という力学が働いているならば特定の誰かと知り合って話すだけではあるものを動かすというのは難しいのではなかろうか。

 そんなことを思いつつ庭を見ていた。

庭の花より団子の たかたか。