大人になる年齢

 気づけばzoomで四時間以上の長丁場の会議となった。会議というのは30分で終わるものも有れば長くかかったり色々なものだが、大体何分でも得られる成果はそんなに変わらないというのは何故なのだろう。

 歳を重ねるにつれて会議などではっきりその場で意見するというのが困難になりつつある。昔は何も考えずに思ったことを言っていたけれどそういうわけにも行かないのだとか勝手に自分が意識してしまっているらしい。もっと大人になれ、とかそんな言葉を言われたことがある人というのは多いのだろうけど、これほどつまらない事というのは無い。自分に対する行動の制限をつけたところで何が得られるのだろう。あるいは、大人に憧れるとか大人になりたい、そんなことを言う人にもこの疑問が頭に浮かぶのである。

 人生というのは今や100年近く生きられることになって今や子供であれる時間の方が遥かに短く貴重になった。大人になるというのは大切なのかもしれないけれど子供でい続けることも本人にとっては一種の自己防衛かもしれない。周りが困ろうがイラつこうが自分の人生である。

 でも子供であれ、とは言っても子供とは何かというのはある。好きなことを突き詰めていける人が子供なのか、こだわりの強い人が子供なのか。

 まあそんなことを考えていても仕方がないのだが。年月は勝手にこちらを大人認定してくる。純粋な中学生に憧れることはないけれどむしろそんな大したことでもない、大人になる、ことに憧れていたかつては、とてもノスタルジックな黒歴史かもしれない。

 

高校ほぼ全部黒歴史化した たかたか。