効率的な精神論者

 受験を教える時口が酸っぱくなるくらい言うのが合格点を取るためのやり方を考えろ、と言うことである。受験は安直に量で解決しようとして長時間勉強を繰り返す人間というのが多すぎる。世の中は本来的に求められたものだけをやるならそう大した量にはならないはずであるのだ。

 弟が浪人していて家でこんなことを言っている。まあそんなことを言っている人間は留年しているのだが。

 なんでもそうだけれども、いつまでに、何が、どれだけ伸びるか、というのを常に考えなくてはならない。運動にせよ早くうまくなる人間というのはその体得が早いように感じる。基本的には対人スポーツというのは相手に勝てば勝ち方は問われないのである。自分のレベルアップよりも勝つことが優先されるべきでだとしたら筋トレとかはそれほど重視されることではない。あるいは勉強において計算練習ばかりするのがそれほど効率の良い学習にはならないだろう。

 根性、なんて言うけれど練習で根性を出すなら試合でだそうや、と言う話になってくる。もちろん練習は真面目に取り組むに越したことは無いが、かと言って本来の目的は全力で取り組んで疲れて帰ることではない。疲れることに満足していたら終わりである。まああるいは勉強なら試合を試験に置き換えると良い。

 現場で対応していくのが大事というのが柔道で学んだ最も大きなことである。医学部の大会なんかだと同じ人間とはほぼ当たらないから毎回違う人間である。自分の柔道、というのは相手に相性が悪いなんてことは多々ある。常に自分を変化させなければならない。強い人はそれがうまいと見ていて思うものである。

 対応力、というのが多分どんな分野でも大事である。まあ焦っていても落ち着いたフリをしておけばそれなりになんとかなるものだ、なんてちょっとズレた精神論を唱えて終わる。結論何が言いたかったのかわからなくなりがちである。

 

柔よく剛に制される たかたか。