学歴社会成功人

 弟は後一週間で国公立の受験らしいが昨日家族と電話で話すとバレンタインのチーズケーキを作っていた。現時点での成績よりもかなり上のところを受けるためなんとなく諦めムードが漂っていた。まあ浪人なら浪人でも良いのではと思うので是非高い理想を掲げて頑張ってほしいというところである。

 社会への加入というのは離脱に際して必ず痛みを伴うものである。社会とはある人間に対しての一定の権利を保証する代わりにその永続のために義務を課すものである。入るもの拒まず去るもの追わずという社会が成立し得るのは離脱することにより不利益性が高くなりやすいからである。

 学歴社会、というのも一つの社会である。客観的に見て一定以上の学歴かあるいはそれを目指す人間が所属し、またある一定以上の、あるいは特定の、学歴でカルテルを形成し優位性の維持を目指している。なお日本ではかなりの数の人間が高等教育に進み新卒一斉採用のような制度も未だに残る以上、国民の大半がこの学歴社会に所属する。あるいは日本が学歴社会と言っても過言ではない。

 よく、学歴のあるなしではなく人間の素養や素質を見るべきだとか、私は学歴が無くても◯◯万円稼げるようになりました、とか言う人間がいる。

 正直、前者は当然の意見である。学歴社会では学歴というのはそのものが大事なのでは無く前提である。人としての素養を見る前の問題であって同じ尺度の話ではない。後者についても同じ話である。

 当然、学歴社会に生きなくても成功は可能である。ただし一旦は学歴社会に入ってしまう以上離脱が困難になるということである。もし学歴社会での失敗を犯した時、再起を賭けるか、別社会への参入を目指すかはその人間次第でありどれだけ追い詰められているかという問題でもあるだろう。

 

学歴系ブログライター たかたか。