すっぴん、記号論的解説

 ある女子のすっぴんが可愛いか、これは世の男全員が一度は話したことのある内容である。例えば橋本環奈のすっぴんは可愛いか、などである。世の中の男子には根強いすっぴん派というのがいる。

 ところで何故すっぴん派が存在するのであろうか。というと様々な意見があるだろう。まず生物学的に言えばよりすっぴんでも相手の好感度が高い顔である方が遺伝子的に社会を生きる上で有利な形質を持っていることになる、と書くとボコボコにされてしまうから好き放題に言うブログとは言えこれはまずい。ということですっぴん好きの美容師に聞いたところ、彼女が自分に見せてくれる本来の姿、のような感じがあってそれが良いと言っていた。流石モテる美容師は言うことも違う。これが差である。

 化粧、とは基本的に外向きの格好であると言える。だからその化粧をとった状態、というのは家庭でしか見れないものだからすっぴんが尊ばれるのもなるほど納得できる。物理的な意味で相手が内面を見せているという記号的役割がすっぴんには成立している。

 ところで大学生くらいになると世の中は実に生きにくい。まあ小学生から生きにくさなんてのは感じていたので単に人間社会に対して適応が面倒な人間なのかもしれないが。いつからかある人間には社会や環境からとあるキャラクターを付与される。それはその人間の一種の外向きの格好、化粧として馴染んでいく。

 これはマナーとかでもある。例えば愛想笑いや敬語なんかもそうである。特に面白くなくても笑うし、特に尊敬していなくても敬語は出てくるのが人間という物である。

 ある人間の内面を覗くという行為がいつからか苦手になった。というよりあるいは最初から苦手であった。知らないで良い物を見るよりも永遠に化粧をされて愛想笑いされつつ、敬語を使われた方が良い。そもそも内面もすっぴんも仮にとんでもなかったとしても見えなければこちらに実害は無いわけである。つまり渡部も不倫するなら佐々木希には隠し通すべきであった。

 

寧ろ人間不信になりたい たかたか。