さて男女差別について考えよう

 子育てと言えば母親である。と言うとバッシングを受ける。子育てには両性の協力が大事だとされている。これとは逆に、男なら泣くな、なんて言葉もある。最近はこれも批判されることがある。

 今の時代は男性と女性には付いている生殖器の差以外は全て一緒という様な主張が為されることがある。即ちこの二つの種類の人間に大きな差がない、と主張する訳である。現代社会での職業や学歴の性差も全て文化的なものだと主張する。

 こうした主張は否定はしないが性差とはあると言っても、ないとないと言っても結論が出ることはない議論である。実際に自由空間で人間の発達過程を見ないとわからないからである。どこかの哲学者が命題でないものに対しては沈黙しなければならないとか言っていたけれども正にそういう状況だと言える。

 この世の中のどんな人が子供を育ててもそれを判断することは無理である。ある人間は当然、思想、信条、信仰等に邪魔される。フェミニストの人に子育てをさせれば良いという意見もあるかもしれないが、こういう人たちは従来への社会への反発があるはずなので、逆にバイアスがかかってしまう。子供が学校やコミュニティを通して自身の社会的役割を認識する可能性もある。

 無理が通れば道理は引っ込むとはこのことで結論が出せない時は常に声が大きい方が勝つのが前回のブログにも書いた通り鉄則である。現代社会であれば女性の発言力が強いしかつては男性の方が強かった。百年後には女性が主体の封建社会が完成してもおかしくはないだろう。

 

強い人に従っておく たかたか。