進歩的性観念って何様なん。

 性交渉可能年齢は日本では十三歳だそうである。世界的な潮流では十六歳だそうでありこのことが話題になっていた。性交渉可能年齢が十三歳と言われても十三歳の自分を思い出すと、多分ロクに性交渉について知らなかったと思う。世の中様々な文化があり、早めに性交渉をする人もいるらしい。

 巷では性教育、なるものが流行っている。つまり正しい知識を身につけて清く正しく性交渉しよう、という教育のことである。清く正しい性の話とは、という問題はさておきこれにより無知による性病や妊娠のリスクを避けられるという。実際避妊具の装着やピルの服用というのは医学的なデータから言ってもこれらのリスクを低減させる。

 性教育は性に関連することへの理念を教えることになる。つまり厳格なムスリムの女性はチャドルを着て家族以外には肌を露出しないというのも一つの性教育である。もちろん進歩的な人がとても怒ってくるのでこの形態が良いとはおそらく絶対に口に出せない話である。別に思ってもいないけれども。

 理念が先行した社会というのは必ず歪みが大きくなっていく。性教育というのは突き詰めると性的関係がある一定の人間同士に限定されてしまうことが起こる。この手の進歩的と言われる人間たちにとって都合の良い性観念を持つのは多くの場合、中産階級以上の人間であろう。年収や学歴が下がるほど特に男性においては生涯性交渉未経験率が高くなると言われる世の中でそんなガチガチに性観念というのを植えつけて良いのか、となる。

 こんなことを言うと、進歩的な彼らはすぐに言ってくる。では例えば女性の望まない妊娠を許容するのか、と。そんなことは一言も言ってない訳である。お騒がせミスター慶應の強姦魔の寝床は刑務所が相応しいと当然思っている。

 そう言うことではなく、ナチュラルな差別作りをやめてはどうか、と言っている。理念が正しい事を先に宣言して議論を受け入れないのは良くないのではないか。

 読む人間も少なくなって来たし好き放題書きやすいと言うものである。

 

世間の意見の逆張り帝王 たかたか。