月と眼と、反逆

 外に出てコンビニにおにぎりを買いに行ったら今日の月はとても綺麗であった。なんだかはっきり見えるような気がしたので冬の空気は澄んでいるのかなぁとか勝手に感心したものである。

 ところで月が綺麗とはいっても近視が年々進む自分の眼ではその姿が正確に掴めているわけではない。満月から八分月くらいまではそれほど区別がつかないくらい輪郭ははっきりとしないから最後に月がはっきり見えたのは中学時代一瞬眼鏡をかけていた時期に遡る。

 もののけ姫のアシタカという主人公の台詞には、曇りなき眼で見て、その後決める、なんて台詞があるけれど曇りなき眼ってなんだそれはとなる。近視の人間は普段近視であることを認識しているわけではない。視力の矯正という比較があって初めて、曇り、に気づけるわけである。しかも視力が矯正された状態が曇っているかどうかなどわかろうはずもない。

 まあつまりもののけ姫の主張でもあるように眼で見る時のバイアスというのは非常に恐ろしいものである。と言いたい。というこれも実はバイアスで…となると哲学的な話にはなってしまうのだが。

 どんな選挙、例えば学長選にせよ大統領選にせよ民主的な決定がなされている。今の一般社会に於いて民主的な決定とは、公正とか正しいとかそういったバイアスがかかりやすい。つまり決まり切ったことを後から追認するような形で選挙という手続きを行うことは、選ばれたものが正しいというバイアスをかけるマジックになり得るということである。

 決して特定の人間や組織を批判しているとかそういった類のものではない。つまり言いたいのはこの文章構成はあくまで中立的にできているけれどもそうは読めない人間の方が多いということである。

 

自己弁護に余念がない たかたか。