京都ではんなり、小室圭

 いよいよ今日から十二月である。今年は前半はかなり暇だったのだが後半かなり濃い目の後半になって結局忙しさのスパンというのは長期的には収束するものだなぁと感じた。

 寒いもので今年引っ越してきて初めて京都の冬を経験している人間は洗濯物が乾かないのがもっぱらの悩みだそうである。昔、都を作るときは風水を重視して三方が山、一方が川の京都が選ばれたそうであるがこのよくわからない風水家のせいで京都に住む人間というのは毎年苦しんでいる。気まぐれなお告げというのはやはり禍根を残すのだ。いくら自分が盆地が好きだからと言って千年後の子孫にまで盆地に住むという義理はないものである。

 そんな千年間、南北朝の時代を除いて万世一系の血筋が天皇であるが、最近は小室圭さんの話題が度々上がっている。母親の金銭トラブルだとか本人が大学時代ありがちな若気の至りみたいな言動をしていたせいで巷で大人気になってしまった。うまく結婚すれば勝ち組ロードだったのだが世の中なかなかしがらみから離れて生活するのは難しい。

 まあそもそも人間関係とは都合が良い時、愛、友情、信頼とか言って都合が悪ければしがらみと言うから、裏を返せば小室圭も愛や信頼に生きているといえるのかもしれない。

 

しがらみプロフェッショナルの たかたか。