帰京、輪廻、有限

 ついに明日というかもう今日だけれど京都に戻る。約二週間ぶりくらいの京都になる。

 かつてはそんなに誰かとくっついて行動するたちの人間ではなかったし京都に居ると何はともあれ予定が入って疲れるので広島では結構ゆっくりしてしまう。浪人時代の知り合いには連絡しても良いのかなと思ったが思っているうちに二週間というあっという間の時間は通り過ぎていった。

 時間は有限であるなんて言葉がある。昔の人間のように輪廻や復活を信じているならともかくたしかに現代人にとっていつか終わる時間というのは有限である。そして変化の多いこの世の中ではその年齢に見合った動きというのがあってあまりその歳のコミュニティから離れると痛い人みたいな扱いになる。恋愛も遊びも歳ごとに似つかわしいやり方があるのだと思う。

 まあそんなことは知らずに通り過ぎているのだけれど結局それも人生というか何というか。世の中には過剰に自分の価値観と反することを否定する人間がいるけれど年齢においてもやはりそれはある。多分どっちが正しいってことも無い。一般的にはその年齢の人間にはある程度期待された振る舞いみたいなものがどうしてもついてくる。

 ただ後から知るチャンスも何もないなと感じると自分の人生はあるいは人より空虚だったのかとかそんなことも思うけれど結局そういうものでもなくてニートならニートで何かボーッとしている時間として充実しているのだろうなとか思っている。馬鹿にしているとかではなくてそれはその人にとっての時間の過ごし方である。仲間とたくさん写真を残す人もいればそうでない人もいる。自分はあまりそうではない方ではある。

 なによりも隣の芝は青い。よく男子校の人間は男子校に行って女子と話さなかったの後悔したと言っているが彼らの男子校ライフの充実度から言ってそれはそれで楽しいという結論に落ち着いてくる。何が言いたいのかは分からないけど人生にちょっとした刺激が欲しいなと思う今日のこの頃に徒然ながら話し終える。

 

男子校出身と間違えられる たかたか。