マホトのこと書いたらみんな見るかね

 未来永劫に時間が続く気がしているこの瞬間が無駄になることでまた老化している。なんて文章を考えてみたけれど自分の性格には合わない言葉である。留年して学年を足踏みしたのか進級したのかまったくわからないけれど一応メンタルは回復してきた。何事も時間が解決する。まあまた判定を見たら暫し何か考えるのだろうけどそれは後回しにすることにする。

 そういえばまたワタナベマホトが謝罪したらしい。まあおそらくあれも一つの病気なのだろう。衝動性が抑えられないというのは著しく社会性に欠けている形質である。だからマホトを批判しないで、と言っても誰も受け入れないとは思う。実際問題ああいう形質を持って生まれることほど不幸なことはない。世の中には痴漢が辞められず前科がつき続ける人間等、ある種性犯罪の依存症のようになっている人間には極めて手厳しいようだ。

 依存症は極めて難治性の病である。アルコール、タバコ、ギャンブルの他、盗み癖や性交渉に至るまで何にでも依存が発生する。マホトの場合は性犯罪である。メカニズムはドーパミンの出方とか報酬回路とか何とか色々あった気がするが別に医学知識をひけらかすブログにするつもりはない。

 人間は何にせよ一つのものを信じるのが好きだったり、あるいは一つのものを信じることで幸せを感じやすい形質にあったりするものである。宗教にせよ科学にせよ、そんな難しい話でなければ友情、恋愛もそうではなかろうか。友情や恋愛において最も幸せなのは相手から好かれていることでは一ミリもない。本当のトリガーは自分が相手をどのくらい信じているかである。全幅の信頼やあるいはそれに対する期待がある時は相手に対してかなり依存した状態にあると言える。

 よくホストに貢ぐ女の話があるけれどあれほど幸せな人間はいない。ホストを信頼しているからである。それ自体が安心感なのである。これに対してそんな事はない、好かれるために貢いでいるだけ、という人もいるかもしれない。そういう側面もあるけれど必ずしも好かれる必要は無い。必ず好かれなければならないなら気まぐれにしか人間を救わない神はとっくの昔に信仰心を失っている。

 ということでこの文脈で脱依存を唱えるのかと思ったかもしれないが所詮人間は依存せずには生きてはいけないので単に依存しているのだという現実に向き合うか目を逸らして今日も時間を無駄にしていく。

 

マホトの事は嫌いな たかたか。