この文章を読解します。

 Twitterの大学アカウントを作って初めて年末を迎えた。ということで、いいねを押してくれた人に一言なんて言う企画をしてみたわけだが、案外たくさんの人がいいねをくれるため、そろそろボキャブラリーの限界が近く同じような文章を書いてしまっている。作家というのは本の中でのキャラクター毎に筆致を変えるが、あれは相当に思考が高度でないと無理な所業である。

 ブログなんかは思いつくままに適当に書くから文体が乱れようが知った話ではない。そこら辺が小説とは一線を画している部分である。語り手の言いたい事が伝われば十分というわけである。

 最近は理系重視の傾向が強く、理科の教科書は分厚く、新課程には論理国語、なんて科目も登場する。しかし理系的な学問というのは結局死ぬほど分厚い専門書を読みこなしつつ学んでいくわけであって、大学生に求められているのはむしろ読解力である気がする。

 読解力とは言ってもいろんな種類がある。難しい本を読む読解力も有ればそこら辺で女子がグループでしているような飛び飛びの連想ゲームのような会話の文脈を掴んでいくような読解力もある。どちらが大事か、ということはない。結論的にどちらもあった方が楽しいだろう。そもそもあまり難しい方に傾倒するのは頭でっかちだし、会話しか脳がないのはあまりに浅薄すぎる。

 ところで読解力を鍛えるために本を読むことほど面白くないことはない。何事も楽しさが大事であるから何か興味のあることを見つければ自然に本を読むことになるだろう。

 

読者の読解力を鍛える たかたか。