ミニゲーム、お財布

 パーティーゲームというのは実に暇を潰せて人とナチュラルに会話できる一つの手段である。ゲームに集中できるという点で、他のものも気にならなくなるしそれはそれで良い。

 家庭教師にせよ、営業にせよ自分に向いているわけではないなと思うのが、肩が張る事である。場合によっては三時間近くテンションの高さを一定に維持する必要があるわけである。というよりもおそらく上げ下げのタイミングをよくわかってないのもあるのだろうけれどとにかくハイテンションに会話するというのがとても苦痛な日がある。これがお金が出ないならまだ無責任で良いから良くて給料もらっているわけでそれなりに緊張感がある中でやらなくてはならないからしんどいなぁというわけである。

 というわけで実は久々にまともに人間と会話した会であって大変安心したものである。なんだか最近は親と話す際にも元気であることをアピールしすぎていてちょっと不自然な気もしてきたのでもっと気楽にいきましょう。

 新しく口座開設もできた事だし、給料日に何かいいもの買いますか。

 

財布の紐も気楽になる たかたか。

立て看板のキャパシティ

 肌荒れがひどく、抑圧感も大きな日常でまああまりバイトなんて入れるものではないなと感じている今である。お金は与えられる家庭であるせいか、精々食費にしかお金を使わないせいか、バイトでお金をもらうという行為に大きな意味を感じることはなく、シンプルに仕事量が多い日はストレスが溜まる。あるいはキャパシティのようなものが小さいのかも知れない。まあそれでもお給料もらうのは嬉しいのだけれど。

 あまり自分の大学を批判しているとどこからか監視の目が飛んでくるので鴨川の向かいの大学の批判でもするかと言いつつ、あんまり部外者がどうこう言っているとそれはそれで怒られそうなので批判はしない。

 立て看板というやつのお話である。近頃の京大はこれが気に入らないのか延々と設置されると即撤去を繰り返している。まあ合法性があるのは土地の所有者の京都大学であるのは間違いない。しかしずいぶんと寂しいものである。京都大学の学風というのは自由が強調された大学のはずである。百万遍のあの付近の立て看板の写真を見ると如何にもアジア的で良い。近代的建築に対してごちゃごちゃと色々なものを取り付けている。なんというか欧米の大学にはないであろう良さがある。

 国際化しなければとか厳しく学生を指導しないとだとか色々なことは考えているのだろうし真っ向から否定することではないのかも知れないけれども単純に画一的な処置は寂しいという言葉でしか表しようがないだろう。

 一つの文化が失われつつある中でマイノリティ達はどう生き残っていくのか、あるいは立て看板の伝統は潰えるのか、見ものである。こういう抑圧的なゴールデンウィーク、何か面白いことを起こしてくれる人がいないかなとそう思うばかりである。

 

権力には逆らえない たかたか。

双方向的お昼のざるそば

 最近では恋愛や友情だけでなくて講義も双方向性が重視されている。ところで互いが顔を出せば双方向になるというのはなんともお粗末な考え方な気もするがあまり向こうはそうしたことは気にしているそぶりは無い。夫婦だって朝顔を合わせているだけで双方向、とは言い難いだろう。両親は全く考え方が違う二人だから常に言い争っている。実家に帰ると本当にお互いに要らないことしか言っていない。実に一方通行な家庭である。

 ところで夫婦になるというのはお互いを見るということではなくてお互いに同じ方向を見ることである、なんていう格言がある。まあ恋愛と違い夫婦関係ともなると何年も続けることが目標のものではあるし必然、そうなってくらのかも知れない。中々いい格言ではなかろうか。

 ところで今日はざるそばを食べた。二日酔い明けにうまいそばというのは良い。昨日はお酒の投稿をしていたと思うのだけれどずいぶん調子をこいていたらしく完全に二日酔いになってしまった。というわけで例の如く脱水症状に陥ってしまっていたからどうにかしないといけないのだが、こういう時のそばの冷たさは頭をスッキリさせるし、つゆの醤油で塩分やら糖分やらが取れて幾分か脱水も楽になる。さらにここに大根おろしやらのりやらネギやらわさびやらの薬味で鼻もスッキリし、お昼の平和な一時を過ごすことができた。

 飲み過ぎには注意であるが、飲むことも含めてのそばのハーモニーがあるなんて言えないこともない。とか言っていたらそばうちしている店のおっさんに失礼ではあるのだけれど。食事も夫婦も調和が大事で多分調和が双方向性。果たして今の大学の改革に調和も双方向性があったことはあっただろうかなんて言いつつ意気地なしな酒飲みだからやっぱりそういう批判はやめとこう。

 

一方通行にブログする たかたか。

日本酒パラダイス

 四月の最終日二人で飲んでいる。いつのまにか消えていた光は二人で消したのか一人で消したのか。あるいは自分が消したのか、そんなことすらわからない。今ただ一人起き、二人で飲んだ二日酔いの余韻に浸る。

 四月の最終日は緊急事態によって例年より物悲しいものとなったけれどまあ我々にとってそんなに行動パターンを変えられるものでもないという形である。

 今日飲んだのはたかちよの森のくまさんというお酒と鳳凰美田というお酒であった。今日も今日とて久々のお酒レポートになるのを許して欲しい。まず森のくまさんであるがパイナップルのような果実を感じた上でしっかりとした甘さ、後味の日本酒さを感じる良い日本酒であった。今日はのどごしに味わったけれど舌先でも楽しめる上、値段的にもリーズナブルなお酒である。つまり言いたいのは良いお酒。鳳凰美田はどちらかというと現代日本酒の真骨頂を見せてくれた。最近の甘口めな日本酒というのはブランドごとに特徴はないというかこのブログを書く人間にはあまり特徴を感じられるような舌がないというのもあるが飲み口のすっきりした感じ、口に含んだ時の米の甘味、後味がアルコール感のない最近の日本酒と言った味であった。正直このレベルの日本酒に感動があるというよりは、やはり今の日本酒はうまいなと再確認させられるお酒であった。やはりこちらも素晴らしきお酒である。極度の甘味はないので食中酒向きか。

 たまにあるお酒の紹介をする回であった。一応このブログの定期企画である。さて我が家の地べたで寝ている友人がものすごい音やらいびきやらを立てていることだし彼に毛布を譲り自分ももう一度寝るとしよう。あともう一点。同期に酔った拍子にLINEで悪絡みしたのは反省反省。

 

めんどくさい酔っ払いの たかたか。

勘違いしてるのかも

 入らない学校の入学金は払わないで良いようにして欲しい。と言う要望があるらしい。まあ確かに中学受験レベルの金額であればともかく大学受験だと数十万、中には数百万の入学金を取るところもあるわけでしかもそれが複数個必要になる場合もある。

 ただまあ大学も基本的には入試ビジネスくらいでしか黒字にできる場所が無いためなかなか譲れないラインだとも思われる。日本の受験産業を拡大したのは予備校では無くて、全国にキャンパスを拡大し、より多くの学生を受け入れてきた、中堅上位私立大と言われる層である。大学経営を良化させるにはよりたくさんの学生を抱え込む他ないが、その分キャンパス運営等で出費も嵩んでくる。

 日本は研究に対するお金の投資が小さいとか国からの助成が少ないとか、そんな声がある。つまりはまあ大学に投資される金額がそこまで大きくないと言うことでもある。けれどおそらく一般の人からすると結構ずれた観念なのかもしれないとか最近はそう感じる。

 大学に対して税金を投じたとしてもそれにより利益を得るのは大学に関係している社会で言えば比較的エリート層の人間である。世間の人間というのはそういう人間に対してそれほど興味は無いだろう。再分配がエリートに行われるシステムが大学という構造なのである。

 だから入学金ビジネスにせよ、それを強く訴えたところでそれが刺さる人というのは少ないだろうなと思う。大学に通わせるほとんどの家庭は何はともあれ入学金くらいならギリギリ払えてしまうし、そういう価格設定である。大学入学金を払えず、かつ大学に行きたい層というのがあまりに小さすぎるのだと思う。

 もちろんマイノリティを救うということに越したことはないけれど、言いたいのは自分がサイレントマジョリティだと思っていたらクラウドマイノリティだったなんて危険性が生じることがまあぼちぼちあるなということである。

 

大学たくさん受けた たかたか。

ドンファンの野望

 紀州ドンファンの愛人というか妻というか奥さんというかとにかくそんな感じの人が逮捕されたらしい。紀州ドンファンというと結構前に死んだ人物である。正直全く忘れていたがニュースになると思い出すくらいの人物だろうか。当時から嫌疑をかけられた女性が遺産目当てに殺したのではないかなんてまことしやかに囁かれていたけれど現代の警察相手にここまで逃げ切るのは流石である。

 ドンファンの死因は覚醒剤の中毒であったか何であったかは忘れたけれどそんな理由だった気がする。とにかく一服盛られたのはまあ今回逮捕されたのを考えると間違いないのであろう。

 考えてみるとなかなか良い死に方かもしれぬ。とそうも思う。生涯にわたり愛人を囲い続けた大富豪というのはまあ現代ではあまり評価もし難いのだろうが昔の人間として見ると、まあ一種の豪胆さみたいなものも感じる。酒金女と難しい哲学を語ることも無く、欲望も単純でわかりやすく実に良い。

 教育をする上で最大の問題点は生徒の学力は幸せに直結しないことである。学力を伸ばし志望校に合格させたり、社会に適応させたりしたところでそれ以上の幸福を掴むのはその後の生徒自身に他ならない。酒!金!女!みたいな単純な欲望すらまあ掴み難い現代で、変に哲学的な幸福を求めると、人生はなかなか厳しいものになってくる。

 まあ結論のところ真の幸せなんてものはきっとなくて仏教的に言うと空即是色色即是空なんて言うのかは分からないが、つまりこの世の本質などと言うものは基本的に存在しないということは敢えて認めると今日も酒がうまい。

 

今度友達と酒屋行く たかたか。

 

コンビニ弁当豪遊期

 誰もいない深夜のコンビニは良い。お弁当は残り少ない時もあるけれどそれすらも敢えて選ばなくても良いという、選択からの開放を許してくれているような気がする。

 深夜のコンビニはおそらく店長か何かのおっさんがじっと棚を並んでいてまるで個人経営の商店みたいな感じだったがそもそもそんな店は深夜には空いていない。ミッドナイトくらいまで空いている飲食店があれば良いのだけれど関西でこのご時世、ちょっと怪しいお店か知る人ぞ知る店しか空いてはいない。

 そんな幾日かぶりの日常を繰り返してちょっとだけローソンで豪遊した後に、野球の結果を見ながら酒を飲む。今日は贔屓にしている広島東洋カープは調子良く勝ってくれていてお酒も美味しかった。ただ疲れからか買うものをミスってしまい弁当おにぎりポテチビールと全て炭水化物になってしまった。お腹は膨れたが反省である。

 ようやくこの時間になってブログを書く気になってきて、ぼーっと世間で起きていることを見ているのだけれど最近のニュースというのは芸能人の話以外は全てコロナがトレンドになっている。会社が違うんだからちょっとは違うことすればいいのにとも思うがどこも負けたくないのかコロナ記事で牽制しあっている。というわけで面白い記事見つけるのも四苦八苦。まあブログ始めた頃にはすでにコロナが来ていたからその頃からニュース欄は見慣れているはずなのだけれど。

 そしてお分かりの通りこの小さな小さなブログでも述べることはコロナばかりとなっているし大手のメディアのデスクもそんな気持ちなのだろう。いずれにせよ夜に飲む酒は美味い。

 

批判しつつこっそりまねるのが たかたか。