一週間の休日に乾杯

 朝からお酒を飲んでいたらブログを書き忘れてしまっていた。ところで今日はディベートのジャッジをする予定なのだけれどこの状態で出来るのか随分不安が募るところではある。

 ところで一日の食事を取る時に3食全て中華っぽくなってしまう時がないだろうか。朝に買ったおにぎりが五目みたいなものを買ってお昼が餃子、夜が炒飯みたいな感じになってしまうともう一日中胃袋が中国に満たされている。一人暮らしでかつ、中華が好きであると買っても作っても中華料理は増える。ラーメンまで中華料理に含めて良いならもう、二日に一度は中華料理を食べているかも知れない。

 と思いつつ今餃子の王将にいるのだけれど、最近は持ち帰りとかデリバリーがすごく多いらしくお店の中は空いているのに持ち帰る人間の待つためのソファはパンパンである。コロナでこういう持ち帰りのウェイトはどの店でも増したらしい。酒飲みとしても折角ならお酒と合わせたいし、店で飲めないなら持ち帰るか、とはなる。むしろ酒飲みだからこそそういう思考かもわからないが。

 さて今餃子を食べつつこのブログを書いているのだけれどにんにくの部分にちょうど当たってビールで流し込むのが旨すぎる。飲んでいるビールは札幌黒ラベル。安いながらもコアなファンの多い苦味と旨みのあるビールである。

 

おっさんの日曜日を過ごす たかたか。

柔道、生まれる。

 部活が最速で再開となると二週間くらいで始まるのでそろそろ身体を調整せねばならない。急に動くと碌な目には合わないので、というものの、サボることに関しては天下一品だから前々日から柔軟だけして当日ウォーミングアップで既に倒れかけるのがいつものパターンである。

 そもそもこの年齢では慣れていないとクルクル回るだけで割としんどいので柔道の前にやる回転運動というウォーミングアップは難儀である。前転後転開脚前転、とか色々やるのだけれどなかなか嫌いな作業の一つである。

 さて何気なく出生主義的な発言が出ると言えばこういうスポーツの場であってスポーツは勉強よりも差がつけやすい競技である。柔道も何度かルールが変わっているのだけれどそれでも古典的な部分はあまり変わっていない。強い人間と戦えばそれなりに差を感じるし、そもそも何故その練習で強くなっているのか分からない人間が強かったりもする。強豪校の柔道部を見ていると強くなっているというよりは人間に混じったゴリラをセレクションしているだけで、恩師がどうこう、とか言っているが恩師おらんでも強いやろお前、というのは彼らを見ていて断言できる。

 まあつまり言いたいのはついスポーツって才能ちゃうん、という発言をしてしまいがちである。これは半出生主義の人でも出生主義の人でも多い気がする。生まれながらにして才能の差があるということを認めてしまうわけである。結局学習面でも才能の差はあるけれど、親の収入という、才能は他の才能より遥かに重要なので半出生主義に結びつきやすいのだろう、と思う。

 まあどうでも良いけど強豪校の柔道の強い人特有のヒグマかライオンかゴリラみたいな野生的雰囲気は直して欲しい。間違えて動物園で展示されかねない。

 

強面の人が怖い たかたか。

更新周期が遅れてる。

 最近更新周期が一日ではなくて一日半くらいになっている気もするけれど二日開いたことは無いのでまだ毎日更新だということを強く主張したい。まあ結局こういう言葉の綾を利用して生きてきている人間である。

 昨日は今度やめる営業のバイトが入っていた。正直言ってシフトを出すのも怠いのだが一応お世話になった部分もあるので七月末まではバイトを入れねばならない。まあ七月は試験があるとか言ってチョロまかすとしても六月末まではシフトを入れてしまった。

 人生はゆっくり生きるのも忙しく生きるのもなまじっか大変だというかゆっくりするとイライラとしてくるしかと言って働きバチのように忙しく動くのも苦手なものである。今日のタスクが溜まりすぎて若干崩壊している感もあるのだけれどこれをなんとかせねばならない。まあ何故タスクが崩壊するかというと前日までガン無視を決め込んで何もしないという癖が治らないからである。最早直すものではなくて治すものになっていると言っても過言では無いだろう。

 それにしても昨日の営業はこちらも熱くなってしまい、非常に疲れた。そもそも四時間もかけて延々話聞いたり喋ったりを業務でするのは苦痛でしか無く、如何に普段の他愛のない会話が貴重かを実感するものである。おそらく営業は向いてないなと思う深夜であった。

 

楽で稼げるバイトを探す たかたか。

 

ポスト、検索。

 ふと思い出して久々に郵便ポストを見るとカオスになっていた。下宿の家のポストには基本的にチラシしか届かないので定期的にしか確認しないのだけれど前回の確認からかなり空いてしまい、ピザに寿司に脱毛、不動産、騒音注意、工事等もうありとあらゆるチラシやら割引やらお知らせやらが確認できた。

 一ヶ月は確認した覚えがないがあるいはもっと確認していなかったのかもしれない。ズボラな性格なので日常のあちこちに綻びは生じているのだけれどまあこれもその一つであると言えよう。

 最近の世の中は何かと充実していて、実は検索能力があれば殆どの知識は、本で取る必要性は無い。上の方に出てくるような広告とかを取り除いていき、うまい検索ワードを打ち込むことが出来さえすれば確実にヒットする。

 ただこの言葉の選択が難しくて似たような言葉や言い換えだと良い資料がたくさんヒットするのに調べたい言葉をそのまま入れてもなかなか答えが出てこないなんてことはよくある。ネットが不便な点である。

 しかしよく考えてみれば、書籍でも同じで書籍もテーマの段階と本文の内容が事前に予想したものとはズレているなんてことはよくあるわけであって、結局この点においてはそれほど違いはない。まあつまりは書籍至上主義みたいな調べ物をしてもネットと比べて優位に高い情報が得られるかと言うと微妙になってしまう。本の方がより情報が正確だ、なんて言うけれどあれほど根拠のない説明はなくて本ですら間違った事だらけである。もちろんネットにはもっとたくさん詐欺まがいの情報だの広告は載っているけれど。ただ広告だってそれこそ家のポストにたくさん入れていただけるわけでよほど悪質なものを除きそんなに問題があるとは思えない。

 いずれにせよ検索能力と取捨選択が大事なのであって情報源が書籍かネットかというのはそれほど違いがないという気はするのである。

 

なんでも適当にコピペする たかたか。

朝倉未来選手。

 格闘技自体あまり興味も無かったのに柔道部に入ってまあ柔道くらいなら一応見るようになった。まあ実際にやる方はともかく見るのは数ヶ月やっていれば、ああこんな感じやなとかこんな技やなとか今の駆け引きは上手いなとかはそれなりに見れるようにもなる。

 ちょっとそれとは違うのだけれど先日は朝倉未来という選手が総合格闘技ルールで柔術の選手と戦って負けていた。その時に三角絞めをされていたのだけれど朝倉選手はタップをせずに気絶してしまった。タップというのは降参の意を表す仕草で床や相手を数回程度叩くと成立する。なお柔道だと打撃がないので、できるだけ相手に直接触れるようにタップした方が良い。気付かれないと完全に極められて気絶したり、あるいは腕ひしぎ十字固めなどだと、よくて腕の骨折、悪ければ肩を壊して再起不能になる。一秒でも早く降参の意を示すのも試合では大事な事である。

 そしてこの手の技はある程度形が成立すると逃げられないのは明らかだし、怪我のリスクを背負うのは無意味なので完全に極められてしまう前に普通は降参するというわけである。

 三角絞めはリアルに経験するとわかりやすいのだけれどそこそこ上手い人にされてしまうと軽く絞められるだけでも相当苦しいので朝倉選手はよく気絶する方を選んだなと思う反面、何故タップしなかったのか疑問が残る。そもそも本人も三角絞めが成立した時点で逃げるのが不可能になったのは理解していたはずで幾らなんでも往生際が悪すぎる。

 将棋で言えばかなり簡単な詰将棋みたいなところでまだプロが投了していないようなものでまあ見ていて結果がよりわかりやすいくらいのもので、とにかく何をどうしようと必敗形である。

 格闘技は殺し合いではなくルールに則ったスポーツなので明らかな負けで負けを認めないのは逆にルール違反に近い。そもそもそんなことをしていたら本当に死人が出てしまうからやるべきでもない。よく武道は道だなんて言うよくわからない人がいるけれど武道に道は無い。ゲームである以上楽しいか、楽しくないかの娯楽性と勝つか負けるかの競争性でしかないものに対して別のものを見出すのも逆に変な気がすると常々思うのである。タップしないのはカッコいいなどと精神論を言っている場合ではないのである。

 

と言ってすぐ降参する たかたか。

 

 

京大の五月祭

 五月祭の強行でまた京大と学生が揉めている。近年の大学は国際競争力なるものに興味を示し、締め付けを強くしてその強化を図っている。少子化による大学入学者の質低下に年々の拍車がかかっているとされる現在では学生への締め付けも相当に厳しい。

 ただ京大という大学は前も言ったけれどまだ揉めているだけ良い。時計台に登ってみたり、寮に立て篭もったり、とんでもない輩もいるけれどエネルギーというかパワフルさがまだ大学から失われていないという事の証明でもある。自由を求めて戦うというのは側から見たら寒いノリなのかもしれないが往々にして、大学生のノリとはそんなものでは無いか、と思う。

 実に馬鹿馬鹿しいことに情熱的で、そのくせクールに振る舞いたがるのが大学生という生き物な訳であり、母校のそういう部分に多くの人はノスタルジーを感じるのではなかろうか。コロナどうこうは別としてもそういう反骨精神という面で五月祭は評価に値し得ると思う。

 ひろゆきは日本のネット界の偉大な人物ではあるがどうも彼を真似たというか妙に冷めた学生というのが増えつつある気がする。別に自分まで熱くなる必要はないけれど、温泉に入るように熱さにも身を委ねれば良いのにとは思う。かく言う自分はこんなブログを書いていてどんなセリフを言っているんだと言う感じではあるけれど。

 

書いてる途中に寝落ちした たかたか。

何気ない週末は過ぎていって

 今日も贔屓の球団が負けて負け越し十二、随分と酷いことになっていて最近は野球の結果を確認するのも億劫になってきてはいる毎日であるが、それでもおそらく広島に居たら見てはいたと思うのでやはり中継がテレビで見れないのは少し寂しい部分もある。

 ネット配信のスポーツ番組やら映画やらを契約してもいいのだけれどそれほど見ることがない反面、見るジャンルは広い人間なので、というより、要はミーハーなので契約するかどうかはいつも悩む。

 今日はランチに行くと客が少なくて、店主としては気を揉む、客としては都合の良いランチタイムだった。混んでいるとあまり自由に過ごしにくいのでまあいつも行っている身としては空いている方が良いのだけれども。

 昨日は同じ店でランチの後、コーヒーを飲んで覚醒しすぎるという過ちを犯したので今日は我慢した。その店はランチもやっている立ち飲みなのだけれど、二十日には蔓延防止に切り替わりそうな雰囲気なので後はお酒が出てくるようになれば念願の昼飲みもできるようになる。自宅でしっぽり飲むのも良いけれど店で昼から飲むというのは最高にギルティな選択肢である。

 まあなんでもいいから日本国はさっさとお酒提供を解禁してくれ。

 

ビールの一滴は血の一滴の たかたか。