柔道、生まれる。

 部活が最速で再開となると二週間くらいで始まるのでそろそろ身体を調整せねばならない。急に動くと碌な目には合わないので、というものの、サボることに関しては天下一品だから前々日から柔軟だけして当日ウォーミングアップで既に倒れかけるのがいつものパターンである。

 そもそもこの年齢では慣れていないとクルクル回るだけで割としんどいので柔道の前にやる回転運動というウォーミングアップは難儀である。前転後転開脚前転、とか色々やるのだけれどなかなか嫌いな作業の一つである。

 さて何気なく出生主義的な発言が出ると言えばこういうスポーツの場であってスポーツは勉強よりも差がつけやすい競技である。柔道も何度かルールが変わっているのだけれどそれでも古典的な部分はあまり変わっていない。強い人間と戦えばそれなりに差を感じるし、そもそも何故その練習で強くなっているのか分からない人間が強かったりもする。強豪校の柔道部を見ていると強くなっているというよりは人間に混じったゴリラをセレクションしているだけで、恩師がどうこう、とか言っているが恩師おらんでも強いやろお前、というのは彼らを見ていて断言できる。

 まあつまり言いたいのはついスポーツって才能ちゃうん、という発言をしてしまいがちである。これは半出生主義の人でも出生主義の人でも多い気がする。生まれながらにして才能の差があるということを認めてしまうわけである。結局学習面でも才能の差はあるけれど、親の収入という、才能は他の才能より遥かに重要なので半出生主義に結びつきやすいのだろう、と思う。

 まあどうでも良いけど強豪校の柔道の強い人特有のヒグマかライオンかゴリラみたいな野生的雰囲気は直して欲しい。間違えて動物園で展示されかねない。

 

強面の人が怖い たかたか。