幸せ毎日に固執したい

 昨日はサワラを食べながら日本酒を呑んだがこれは実に美味かった。良い日本酒だったのだけれど古くなって発酵してしまい些か飲み切るのに抵抗感を感じていたが、冷酒ではなく常温として飲むと幾分アルコールの風味が抑えられ、逆に本質的に日本酒が持つあまみも再び感じることができてよかったというのはある意味新たな発見と言っても良いだろう。

 お酒というのは、というよりも何にしてもそうだけれども基本的に量をたくさん入っているものを買う方が単価は安く買える。という理論で日本酒は一升瓶で購入するのだけれど、それほど飲める口でもないからこれがなかなか消費できない上に、何日もかけて同じお酒を飲むと幾ら美味しくても味に飽きてくる。

 そんな贅沢なと言われるかもしれないが、とはいえ人間なのでこういう飽きみたいなものをいちいち頓着できることでもない。バイトなんかも同じことをするのに骨が折れるというかすぐに飽きてきて辞めたくなってしまう。昔はむしろ一つのことに固執してできるタイプの人間だったのに一体全体どうしてこうなってしまったのだろう。まあ今でもどうでも良いことに固執することはあるのだけれど。

 そういえば池江璃花子が大嫌いな層というのは一定層いるらしく、池江がオリンピックに出たいというだけで批判する人間がいるが、別にオリンピックやってほしいとか出たいとか言う発言はそもそも批判されるようなことなのかというのはある。幾ら選手としては大物とはいえそれほど影響力のある人間とも思えないし、スポーツ選手で人生賭けてその競技をしている以上、まあ無くてもいいや、なんて考えは逆にサイコパスすぎる。それこそ、そこまでして固執するだけの理由はあるのではなかろうか。そう思うのである。努力が実を結んだという発言にしてもそうだけれど池江の周りの環境がどれだけ充実していようが池江自身にどれだけ才能があろうが、努力が実を結んだ、努力して良かったという発言は本人の感想に過ぎない。

 むしろ才能、とか環境、とか言い出す人間は邪推というか、言葉の尻を取りすぎである。苦労した分人より努力したと思いたいのが人間でそうでなくては生きていけないだろう。少し有名人なので独り言が勝手に大声にされがちなのかもしれないが誰かを批判したり、不適切発言したりしたなら兎も角、そういうお門違いな考えに固執するというのは正しく愚かしい。

 

批判の批判が好きな たかたか。

インスタントラーメン

 全く将棋というゲームは実に難しく、おもむろにやったところあっさりオンライン対戦で完敗した。世の中、いきなり勝てるほど甘くはないと改めて実感するばかりである。

 すぐに結果が出ないというのは実に当たり前のことであるがこれがなかなか理解されにくいらしい。塾に入ればすぐに成績が伸びなければならず、医者にかかればすぐに病気が判明し、解決の道筋が立つ必要があり、マックに入れば直ちにスマイルとチーズバーガーが出てくる必要がある。

 だがこの中ですぐに達成されるものというのはせいぜいマックの店内で行われる一連の様式だけであって結果というものはそんな直ちに出るものではない。ところでマックというと中にはパソコンと勘違いする人もいるらしいので一応言っておくとマクドナルドのことである。

 胸に手を当てて考えて欲しいのだけれど何か結果が出るにはそれ相応の長い時間がかかるはずである。それこそカリキュラム改編なんかが吉と出るか凶と出るかなんていうのもそのくらいのスパンで見ないとどうしようもない。アベノミクスとかにしてもそうで、結局決まった方向に邁進していくしかないのである。まあだからこそ最初に進む方向を間違えるとあらぬ方向にどんどん進んでいくということもあり得る。

 戦前日本の海軍には漸減要撃という戦略があった。つまりはアメリカ海軍が日本近海に来るまでにできるだけ戦力を削り、ある程度削ったところで全力で決戦をして叩き潰すなんて戦略である。だがこの戦略はそもそも致命的な問題点がある。

 漸減作戦がうまく行けば勝つか負けるかの博打に当時のアメリカが乗るとは考えにくく、逆に漸減がうまくいかなければアメリカ優位の状態で要撃決戦が待っている。つまりこれは戦略の前提が最初からおかしいのである。

 果たして学部における厳しさとその後の成果が一致するかそれは誰にもわからない。京大にせよこの京都府医大にせよ思いつきで変えているようにも見えるが一度変態が始まればそう簡単に戻ることはできないしなおかつ結果をついて来させるのも即時的には難しい。もっと慎重に決めてもいいことはある場合もあるとは思われる。

 

ささやかに抗議する たかたか。

あいらぶ技術立国

 実は好きなひとがいる。とかブログで言い出す明け方だがそれほど本気でもないようやそうなような。高校時代の方がずっと恋愛にはストレートだったかもしれない。結局身近にあるものに対しては熱くなれても限りなく遠いものには冷めた目でしか見れない。人間そんなものである。あ、別に高校時代にそう言うものが身近だったわけではない。一応注釈しておく。

 さてそんな話はどうでも良くて結局共感とか逆に反感すらも身近に感じるかそうでなくてもテリトリーの中にいる人間に対して思うことなのだろう。

 その点人種差別とかの構造はよく出来ていて大半の差別主義者は差別主義者ではない。単に無関心なのである。いじめだな何だのそういう社会では人間の無関心さを利用するようなシステムをうまく作っている。まあそもそもあらゆるものに関心なんかを持っていると神経衰弱になるだろう。たまにとんでもなく元気で多趣味な人間もいるけれどどう見たって極一部分の人間の話である。

 こう言う大学にいるとつい勘違いしてしまうことは、一般に大学という組織は関心を持たれている、と言う前提である。特に大学の先生やらそう言う人たちはその前提が強くある。ただ実際はそうでもない。日本の大学進学率は50%くらい。毎年多額の税金が教育や研究に注がれるが結局上位50%やあるいはそれ以上に厳選されたエリートに対する再分配が大学教育や研究である。

 そういう意味で高額所得家庭にとってはこれほどラッキーなことはなく、彼らが取られた沢山の税金は大学の運営費用として彼らに重点的に還元される。義務教育のように全員に均等に配られるわけではないから見方によっては大きな税金はその後の本来的に掛かる教育費を前借りしているとも考えられる。

 逆に大学進学率が低い低所得者層にとってそれほど大学という組織に関心が持たれるということは少ないだろう。大学の研究のために予算を増やせとか教育のために予算を増やせという提案が一つも通らないのはそのせいである。口では技術立国と言っていても結局のところそんなところに予算を割いても取れる票はたかが知れているわけで単なるアピールというわけである。

 そういう意味で大学にいるということは恐ろしく感じることもある。ところで今最初の文章見直したら好きな人どうこうという話をしていたのだが何でこの話なのかさっぱり分からない。

 

文脈に無関心な たかたか。

新聞雑誌を作りたい。

 タイトルの通りである。ブログを書いていて以前から文芸というものに少しずつ興味を持ち始めている。ブログの良いところは良くも悪くもまとまりや整合性なんか必要でなくて思ったことを語れるそういう場であることである。

 ところで何故文芸ではなく新聞なのかというのがより広い人に執筆者になってもらい、そして読者になってもらうというのを重視したいからである。例えば文芸というとどうしてもエッセイであったり物語という要素が強く出る。だが巷の新聞とか雑誌というのは当然内容はそれだけではない。ニュースはもちろんだが語られる内容はスポーツも有れば、競馬のようなギャンブルもあり、四コマ漫画、批評に感想、インタビュー等、完全に趣味を全開にするような内容の記事で溢れている。この新聞とか雑誌という文体だけでないトピックの雑多さが文芸を集めた文集にはない面白さではなかろうか。

 学生で作るのなら上のコンテンツのものはすぐに人を集められるだろうし、そうでなくても取材してまとめれば一般の記事になる。阪神ファンなら阪神について無限に語ることがあるだろうし、将棋ファンなら戦法やら、棋士やらについて語ることができてシリーズ化できる。それ以外にもゲームやらはたまた大学への数学のように問題を載せて解答を募集するというのでも良い。これなら高校生にだって読める内容になる。あるいはそれをもじって研修医への医学みたいなタイトルで国家試験やCBTの過去問題で気に入った問題を出題し基礎医学的な側面から臨床、そして試験対策まで含めて解説するとか、問題を記号ではなく論述形式にして解答を広く募集しても面白そうである。教授なんかにペンネームで回答してもらうと案外教室によって学生ともまた差が出そうで面白そうである。流石に実名で解答作るのはお互いに気が引けるだろう。

 他にも宝塚ファンには宝塚について書いて貰えばいいし日本酒ファンには好きな日本酒を、好きなクラシック音楽、好きなバンド、なんでも語るものがある。寺巡りシリーズとかも面白そう。とかバラバラに記事について連想なんかしていると医学生でも全然面白い記事が書けそうというふうに思えてくる。電子版であれば写真も使いやすいだろうからインタビューの際には写真を撮ってもらっても面白いかもしれない。鴨川とかですら画角や季節毎に被写体を違った形で置けるのでインタビューの時の写真なんかにはとても使いやすいかも。

 ずいぶんハイテンションに夢を語ってしまったがここで一つの障壁があって自分がもし部活に入っていなかったらもっとアグレッシブに行動できるのだが、というところである。流石にこの夢を一人で達成するというのは無理があってやっぱり複数人と一緒に行動しないと、これは到底実現できない。何より自分は仮にも演劇部では座長だし、柔道でも人数が多くないというのもあって試合が始まれば間違いなくレギュラーである。

 そして最後だがこういう日々何となく過ごしているのだけれどなかなか自分の書きたいエッセイや小説を書く時間を取れない。だからむしろ誰かを巻き込んで始めたいというのがある。この夢は誰かに共有できませんか?というのが今日のブログであった。

 

私には夢がある。 たかたか。

 

 

意見の単位ベクトル

 イベントの運営者としてグループディスカッションのメンバーを組む機会があったのだけれどこれはものすごく骨の折れる作業だった。イベントにあるのは必ずしもディスカッションみたいなものに慣れている人間とは限らない。なまじっか知ってる人間も多いものだから配分のバランスに余計に気を使うというものである。

 大体どんな学問もこの世の中は一方向性ではなくて様々なベクトルの合成によってある安定した方向に収束するという結論になるのが常であるがその中では個々には色々な意見を言う人がいる。例えば、我々は共産革命を実現しなくてはならないとか、天皇制廃止だ、なんて言う人もいれば日本は再軍備すべきである、とか韓国と絶縁すべきだ、なんて意見がある。ここまで大きい話でなくても学長辞めろ、とか緊急事態宣言は無駄とか日々様々な意見が飛び交っている。

 これらは向きが一致する人の多さはともかく一人一人の声の大きさは相当なものがある人たちの意見である。

 それぞれが正しいか間違っているかはさておき、つまりはあまり意見を持っていない人たちに対してバランスをとって存在しているのがこういうかなり過激な意見を言う人たちである。

 ただ最近の立て看板騒動を見ていても思うのだけれど、どうもこういう過激な人で最近カリスマ性を感じられるとか大衆受けするような人があまりに少ないと思う。それが良いのか悪いのかはさておき、こうしたグループはその意見の正当性自体よりも感覚に訴えかけてくるような、心をくすぐられるようなそういうものであることが重要である。最近はなんだか扇動する側が冷めた態度を取りすぎというか、おしゃれというか格好をつけているというのか、どうも暑苦しさみたいなものに欠けている。

 もちろん、古き良き、暑苦しさなんかを持ってこられると本当に暑苦しいのだけれど何かこう、面白い発信の仕方をしてくれる人がいてくれてもいいのにな、とは思う。まあそれを引き出すのがディスカッションの運営の役割だからとりま頑張る。

 

割と暑苦しい顔してる たかたか。

国家予算かよ。

 なによりも無気力を振り払うような気持ちというかそういうものを大切にしたいという決意表明をゴールデンウィーク明けにしている。つまりはゴールデンウィークが恋しいのだけれど、ただ今年のこの長期休暇は大層つまらなかった。昨日こそ、野球を見ていたけれど土曜月曜火曜はバイトが入ってしまい何も長期休暇要素がなかった。そもそもオンライン講義だからあんまり休暇のある無しは変わらない気もするが。

 そういえば大富豪のビルゲイツ氏が離婚したらしい。ビルゲイツと言えば、マイクロソフトを作った人で、自分もノートパソコンはOSにWindowsをつかっているからそういう意味でお世話になっている人である。少し前にはアマゾンの創業者兼経営者も離婚していて、全ての幸福を手に入れるというのはなかなか難しい。

 まあもちろん同じ人とずっと結婚していることが幸せとは限らないからなんとも言えないが。

 それにしても彼らを見ていて思うのは桁外れの資産である。ZOZOの前澤社長が持っている数千億ですら、どのくらいの単位か分からないのに彼らに至っては十兆円、ちょっとした国家予算の大きさである。離婚するときの慰謝料も数兆円とかで桁違いにも程がある。

 流石にそんなに稼ぎたいとは思わないけれど、人生で一度でも年収が一億に到達したらいいなぁとかそんな風に思っている。まあこの職業でそれはかなり厳しいのだけれど。

 

アマゾン好きな たかたか。

 

バイト疲れて安売り寿司

 梅田の阪急2階の改札で安売りしていた寿司を買った。元々がそんなに高くない寿司なのでそううまいものでもないけれど安い酒と安い寿司みたいなセットはそれはそれでよい。ネギトロなんかもあぶらを添加しすぎてかなりコッテリしていたのだが、チューハイで流し込むと丁度良いくらいの味である。家には日本酒やら焼酎やら色々あるけれどやはり値段に対して相応するつまみというのは酒のポテンシャルを絶大に引き上げる。今日のチューハイと寿司セットは美味い。まあ勝手に自分で別々に買ってセットにしているだけだけど

 チューハイというやつは口に含む時間が長いとシンプルにアルコールを感じるのでささっとぐびっと行くのが肝要である。味は死ぬほど甘味料を添加してくれているのでそれほど味わなくても問題ない。

 まあでも寿司が美味かったのはバイト終わりに疲れていたからというのは間違いなくあるだろう。そもそも魚は好きだが、あまり安売りの寿司なんぞ買わないから余程炭水化物を欲していたと思われる。飲むだけ飲んであっという間に寝てしまい、朝である。なんだか時間を無駄にしたようなしてないような、そんな気分だろうか。

 バイトをするとその分散財する人間なので一向にお金が貯まる気配は無いがそろそろ貯金したいところ、と言いつつ、お酒が溜まっているので美味しいつまみを求め今日もブラジルの熱帯雨林探索してきます。用事ある日はそれはそれでよいけど無い日の方が結局楽。

 

Amazonの冒険家 たかたか。